第七話 白球ファイト

 気温も上がり、季節は春から夏に変わろうとしていた。
そんな日の昼休み、突然龍ちゃんが俺の教室を訪ねてきた。尤も、龍ちゃんは俺の副担任の先生だから、訪ねてきても何らおかしくはないのだが、クラスの違う陽一と一緒だった。
「ん、何だ?」
「……ま、ここじゃ何だから、放送室のスタジオにでも行くぞ」
 龍ちゃんに言われるがままに、俺と陽一は龍ちゃんの後について放送室のスタジオへ向かった。放送室のスタジオといえば、超バンド同好会の練習場所である。
「何なんだ、龍ちゃん?」
 放送室のスタジオに着いて、開口一番に訊いてみた。
「お前達、今でも野球やってるよな?」
「やってるっつっても、キャッチボールとフリーバッティングくらいだぜ」
 龍ちゃんは、俺と陽一が小学校時代に野球部でバッテリーを組んでいたことは知っている。一応御近所さんだ。
「んで?それが何?まさか野球部の助っ人をしろとか?」
 俺より先に声がかかっていた陽一が痺れを切らしたのか、そう尋ねた。
「いや、違う。近いと言えば近いが〜……お前達に野球をしてもらいたいというのは合ってるな。助っ人というのも、一応合ってることは合ってるが……」
「もったいぶんねぇで早く言ってくれ」
 相変わらず陽一が急かす。
「野球部顧問の大野先生を知っているか?」
 俺たちは揃って首を横に振った。陽一もそうだろうが、授業の受け持ちでない先生のことは、あまりよく覚えていない。
「大野先生は、俺と同期でな、よく一緒に酒を呑んだりするんだが……」
「学校で?」
「そんなことするか、馬鹿」
 サラリと馬鹿と言われてしまった。
「それでこの間、お前達が野球をやってたって話になってだ……」
 そこまで言って、龍ちゃんが突然口篭ってしまった。野球部の助っ人ではないのだろうか?試合はしていなくても、暇な休日の昼下がりにキャッチボールなどをしている俺たちだ。ブランクはあっても、出来ないこともないと思う。特に陽一は運動神経の塊だ、コイツなら即戦力になるだろう。
「……それで、だ。酔った勢いというものも手伝ってだな……お前達なら、ブッコーの野球部の一年チームくらいになら勝てると豪語してしまって……」
 そこまで言われて大体の察しがついた。陽一もそうだったのだろう、
「おい」
 先に言い出した。
「何だ?」
「お前達って、俺と啓祐でどうやって勝てってんだよ!野球は九人でやるスポーツだろッ!」
「適当に集めてさ、啓祐がピッチャーで陽一がキャッチャーで、全員三振で……」
「無理に決まってンだろ」
 龍ちゃんの台詞が終わる前に言い放ってやった。
「啓祐、お前なら出来る!」
「阿呆か!俺がプロなら兎も角、たまにしか野球やってない俺が、野球部相手に全員三振に取れるわけねぇだろうが!」
 龍ちゃんが野球をナメてるとしか思えない。
「……勝ったら、ここに俺のギター置いといてやるから、頼むよ」
 ここ、とは即ち超バンド同好会の活動場所である。ここにギターがあれば、初心者の同好会の連中に教える時に楽だ。
「俺には何もねーの?」
 と、陽一。確かにギターをここに置くだけでは、俺にメリットがあっても陽一には何もない。
「……そうだ、昔欲しがってたリストバンドはどうだ?錘の入ったやつ」
「ん〜……」
 考えながら、陽一が俺の方に顔を寄せて、
「どうするよ?」
 小声で話し始めた。
「俺はいいんだけど、なんか気前良過ぎねぇか?」
「確かに。言い切ったからって、ここまで野球をやらせようとするかな?」
「そこでだ……」
 少し相談してから、
「龍ちゃん、それで試合に勝ったら、更にウクレレで何かおごってよ」
 言ってみた。ウクレレは龍ちゃんの父親が経営している喫茶店だ。
「……ま、いいか。やってくれるのか?」
「俺はいいよ。陽一は?」
「俺も、いいぜ……」
 二人共そう答えると、
「おお、やってくれるか!ありがとう!」
 嬉しそうに、俺たちの肩を掴んで言う。
「あぁ、ところでメンバーだけど、どうする?俺たちが野球部以外のメンバー見付けようと思うけど」
「そうか、じゃぁ頼んだぞ。日時は後で伝える。それと、全員一年で探してくれ」

 次の日曜日。陽一たちが午前中に部活があるから、野球の練習は午後に始まった。場所は運動公園。
 とりあえず、メンバー九人はすぐに集まった。メンバーが決まると、打順もポジションもすぐに決まった。
 まず、1番センター美里。こちら中学時代にソフトボール部に在籍し、センター兼リリーフ投手だった。運動神経抜群だということは言うまでもない。
 次いで2番が、ピッチャー俺。説明は省く。
 そして3番がキャッチャー陽一。こちらも説明は省く。
 4番、ファースト翔。身長約二メートル、体重約一五〇キロの巨漢には、一発を期待したい。
 5番、ショートラン。たまにバッティングセンターに行っているという彼女だ、バッティングは期待していいだろう。あとは、変化球に慣れればいい。
 6番、サードジョニー。猪突猛進型のジョニーにはピッタリのポジションだろう。
 7番、レフト早紀。小学校の頃、仏が丘小学校へ転向してくる以前、少しだけソフトボールの経験があるらしい。あとはそれが、高校野球でどこまで通用するかだ。今回は、勝ったらウクレレで奢って貰えるという理由で参加した傾向があるようなないような……。ちなみにただ一人の左利き。
 8番、セカンドタク。とりあえず野球経験がないのが最大のネック。守備を徹底的に鍛えようと思う。
 9番、ライト麗ちゃん。今回自主的に参加すると言い出したが、当の本人は野球・ソフトの経験が皆無に等しい。それに、余り言いたくはないが、運動神経もそれほど良くもない。その彼女が自主的に参加した理由はよく分かっていないが、最近ランの影響で俺たちとよくつるむようになったのが原因かも知れない。こちらも守備を重視する。俺は麗ちゃんと一緒に野球が出来ることが嬉しい……。
 問題は、ボールが硬球だということ。野郎陣はどうでもいいが、早紀と麗ちゃんが心配だ。二人共それを承知で参加すると言い出したので、辞めろとは言えない。
「なぁ、啓祐」
「ん?」
 俺と陽一、美里が一番乗りだった。集合時間が一時よりも十五分早い時間だ。
「なんでこのメンバー?中学の時に野球部にいたやつとか探せば良かったのに」
「いいんだよ、寄せ集めよりこういうメンバーで勝った方が気持ちいいから」
「でも、女子が入ってもいいの?」
 と、美里。実は俺もそのことは聞いていないのだが、
「いいんじゃねぇの?女子は駄目とは聞いてないしよ」
 わざと訊かなかった。少なくとも美里の戦力は欲しいし、メンバーも集まりやすい。
「ふーん。あ、それと啓ちゃん、グローブとかってどうしたの?みんなに買ってもらったの?」
「おう、それならなんか龍ちゃんが学校のやつ持ってきてくれるって言ってたぜ」
 一時に近付くにつれ、メンバーが集まりだし、そして集合時間の一時を十分程過ぎた時にジョニーが到着し、更にその五分後、道具を持った龍ちゃんが来て、集まるメンバー全員が揃った。道具は一通り揃っていて,バットやグローブは勿論、ヘルメットやキャッチャーのプロテクターなどもある。
「……おい、啓祐」
「何?」
「女の子がメンバーにいるのはどうしてだ?」
 到着早々,龍ちゃんが不機嫌そうな顔で訊いた。
「特に言われなかったから。駄目だぜ龍ちゃん、男女差別したら」
「あのな、硬球なんだぞ」
「コウキュウと言えば……」
「ボケる必要はない」
 ボケる前に突っ込まれてしまった。どうしてくれよう。
「ま、彼女たち硬球って承知でやるって言ってるし、いいんじゃないの?」
「……俺は何があっても責任取らないぞ」
 全く無責任なコーチである。
 龍ちゃんを適当にあしらって、早速準備体操、そしてキャッチボールを始めた。キャッチボールの段階で、早速経験者と初心者の差が出た。タクと麗ちゃんが、実に初心者だった。タクも麗ちゃんも、ボールを投げるときのフォームが全くなっちゃいない。利き腕の力だけで投げようとしている傾向がある。タクのパートナーの翔と、麗ちゃんのパートナーのランが、それぞれ投げ方・受け方を教えていたが、結局二人ともまとめて龍ちゃんに教えてもらうことになった。
 タクと麗ちゃんは龍ちゃんに任せて、残る俺たちはキャッチボールを済ませて、次の練習に移った。小学校の野球部では、キャッチボールの次はバント練習だったが、今回はフリーバッティングに移った。だが二人少ないので、内野はピッチャーとキャッチャー、そしてセカンド寄りのファースト、ショート寄りのサード。外野はいわゆる左中間と右中間と、合計二人。最初はランがフリーバッティング。守備位置は、俺がピッチャー、陽一がキャッチャー、ファースト翔、サードがジョニー、左中間に美里、右中間に早紀となった。これで、ローテーションしてフリーバッティングをするのだ。ちなみにピッチャーの俺がバッティング練習をする時は、美里がピッチャーだ。
 一人につき二〇球。タクと麗ちゃんは、他のみんながフリーバッティングを終えるまではキャッチボールをし、その後にフリーバッティングで合流となっている。
「よっしゃ来い啓祐!」
 ランがやけに張り切っている。もしかして、この前のGWに俺に打ち取られたリベンジだろうか?それにしても体育着が似合わない女だ。
 とりあえず今回は、全力で投げさせてもらう。変化球もサイドスローも使う。
 まずは様子見の意味も含めて、直球でど真ん中。オーバースローから、陽一のキャッチャーミット目掛けて、直球を放った。
『キンッ!』
 ランはそのボールを捕らえた。打たれたボールはレフト方向へと大きな弧を描き……レフト前ヒット。
「へへ、遠慮しなくていいぜ」
 と、ランが少し得意げにヘルメットを被り直した。そう言えば、ランはバッティングセンターに行くと言っていた。GWで俺に抑えられて以来、豪速球コースで練習していたのかも知れない。この間は俺の球を速いと言っていたが、今日はそうでもなさそうだ。
 元々、今回は遠慮などするつもりはない。早速変化球を投げさせてもらうことにした。
 振りかぶって、第二球目。投げたボールはまたしても真中へ飛び込んでいったように見えたが、ボールは徐々に外角へと逃げていく。それでもランはバットに当てた。しかし、結局それは球威のないファーストゴロ。ランは少し悔しそうな表情をしたが、何も言わずに構え直した。

「ふぅー、つっかれたー」
 西の空が茜色に染まる夕時、俺たちは龍ちゃん家……喫茶店『ウクレレ』にいた。俺と陽一と美里はカウンターに座り、他のみんなはカウンター近くのテーブル席に座っている。
「みんな、お疲れさん」
 と、カウンターの関口さん。口髭を生やした、優しそうな顔のこの男性が、龍ちゃんの父親だ。俺や陽一、美里は龍ちゃんは龍ちゃんと呼ぶが、龍ちゃんの父親のことは関口さんと呼ぶ。
「あ、そうだ龍一。大野さんって人から電話があったよ」
 関口さんが、俺たちに水を出し終えた直後に言った。
「大野先生?何だろう?」
 大野先生と言えば野球部の顧問の先生だ。龍ちゃんの話では、龍ちゃんと大野先生は仲がいいらしいので、電話くらいかかってきてもおかしくはない。龍ちゃんは自室へと向かった。
「関口さーん、俺林檎ジュース頂戴」
 俺が言うと、
「あ、俺アイスコーヒー」
「美里はアイスティーね」
 ウクレレに馴染んでいる陽一と美里も続いて注文した。俺たち三人には馴染みの喫茶店なので、メニューを見なくてもあるものは大体知っている。
 一方、他のみんなは俺たちが注文したのを聞き、メニューを見始めた。早紀とジョニーもスタジオを借りる関係でウクレレ馴染みではあるが、喫茶店としてのウクレレには、俺たちほどは馴染んでいない。
 他のみんなが頼むより前に、俺たち三人にはドリンクが出された。
「くぁー!運動の後のアイスコーヒーは美味いぜ」
 陽一が風呂上りみたいな台詞を吐くが、その気持ちは分からんでもない。特に俺は美里や陽一と違って毎日運動しているわけではないので、余計に林檎ジュースが美味く感じる。
 一方で、みんなも頼んだドリンクが来て、それを飲み始めた。
「しっかし……予想通りというか、予想以上と言うか……翔は当たると飛ぶな」
「飛ぶなじゃないわよ、もっとちゃんと打ち取ってよね」
 俺の傍で早紀がむくれた。
 翔は見たまんま四番打者といった感じで、三振かホームランかという勢いがあった。変化球にはまだ不慣れなせいで空振りも多かったが、当たれば大概ホームランコースである。その半分以上が早紀のいるライト方向だったので、当たるたびに早紀から悲鳴が上がっていた。
「でも、俺ランナーは不向きだよ。足遅いからヒットだと大体アウトだと思うよ」
「いい、いい。翔にはヒットは期待しない。ドカンとホームランいけ、ホームランホームランと打点の二冠王狙え!」
 と、陽一。
 しかし翔もそうだが、ほとんどがまだ変化球に弱い。変化球を普通に打てるのは、俺たち三人以外ではランくらいだった。だが、意外とタクが後半は変化球を捉えられるようになっていた。野球は全くの初心者なのだが、運動神経は悪くないらしい。これで結果が内野ゴロでなければ言うことはないのだが。
 打撃がさっぱりだったのは、早紀と麗ちゃん。早紀は少しだけソフトボールの経験があると言っていたが、本当に少しらしい。
 一方守備の方は、麗ちゃん以外はそこそこ大丈夫だったと、ノックで判明した。早紀がライナー系の速い打球を難なくキャッチ出来るし、タクが打球を全く怖がらずに前に出て捕球に行ったりなど、思ったより守備は全体がいい感じだった。尤もタクに関しては、前に出て捕りに行く姿勢はいいのだが、まだショートバウンドやイレギュラーには慣れておらず、顔面を直撃して鼻血を出したりもした。その割にはケロッとしていて、結構タフにできているようだ。
「麗子ォ、練習大丈夫だったか?」
 早々とコーラを飲み干したランが麗ちゃんに訊いた。ノックでもエラーが多かったし、バッターボックスに入っても空振りか内野ゴロだった。外野に飛んだのは僅か二球。あまり面白くなかったかも知れない。
 ところが、俺の意に反して麗ちゃんは、
「うん、大丈夫。面白かったよ。久しぶりにいい汗かいたって感じで」
 とのことらしい。
「あんまり当たらなかったけど、ボールが飛ぶと気持ちいいね」
 と、バットを振るようにスウィングしてみせる。
「あ、じゃぁよ麗子、今度バッティングセンターで練習しようぜ。思いっきりかっ飛ばせるからよ。啓祐よか球遅いし」
「うん!」
 本当に、ランと麗ちゃんは仲がいい。磁石のS極とN極という表現が合っていると思う。学校でもほとんど一緒だ。
 みんなが頼んだドリンクを飲み終える頃に、龍ちゃんが戻ってきた。そして、
「コホン……あー、みんな。非常に申し訳ないのだが……試合、中止になった」
 一同唖然。龍ちゃんのその言葉に、関口さんが磨くコップのキュコキュコという音だけがウクレレ内に流れていた。
「な、何でぇ!?」
 俺は思わず身を乗り出してしまった。
「野球部の一年生が、まとめて三人退部して、七人になってしまったらしい」
「何をー!?どこの根性なしだ、その一年は!?」
 よもやこんなオチが待っていようとは……。
「別に一年だけじゃなくてもいいぜ、俺は」
 と、陽一。俺も同意見だ。一年野球部員対、俺含む一年非野球部員という話だった。だが、一回とは言え、折角みんなで練習を始めたのだ、今更ノーゲームにはしたくない。
 だが、
「いや、何でも練習試合がビッシリ入っていて、無理らしいんだ。今度の試合予定の日も、二、三年生は練習試合だそうだ」
「何だよっ、折角みんなで始めたのにっ!」
 俺は半ば興奮して、全然悪くない龍ちゃんに喰ってかかった。だが、そんなところに冷静な声で、
「別にいいんじゃねぇ、今度じゃなくても。夏休みンなりゃいくらでもできそうだし。それに、俺たちももっと練習した方がいいだろ」
 ジョニーが言った。確かにその通りだ。後二月もすれば夏休み。練習が週一と考えれば、練習試合が夏休みくらいでちょうどいいかも知れない。

 その意見が通り、練習試合は夏休みとなった。そして、超草野球チームが誕生。……何でも超って付ければいいってもんじゃないぞ、ジョニー。


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